Archive for 3月, 2009

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土曜日, 3月 28th, 2009

冬が終わってしまった。

今年の冬はワカサギ釣りへ二回。青森の方に一回。ボード零回。事故零回。

ワカサギ釣りは、全体的に気温が下がりきらなかったため、凍るのが遅かったし、溶けるのも早かったため、すぐにシーズンが終わってしまった。さらに、近所の溜め池が釣り禁止になっていたので、遠くの溜め池まで遠征にいった。

2月の上旬に、凍って全面雪に覆われていた池が、

ワカサギ釣り

翌週行くとこんなんだから困る。

溶けた池

このときはさすがに引き上げた。

やたらと大きい穴を開ける人がいるのも困る。

ワカサギホール

大人ひとりが余裕で落ちる大きさ。この池では、皆で釣りができる大きな穴を開けて、その上からテントをかぶせるのが流行りらしい。マンホール並みの穴がそこらじゅうにボコボコ開いていた。いつか誰か落ちる。

青森の方に出かけたのは、3月の上旬ごろだったが、まだかなり雪が残っていた。

岩木山

岩木山は山らしい山だ。平地にほとんどソロで立っているので、どこから見ても岩木山。

津軽半島は太宰治の生家。心中好きの鬱作家だ。

太宰治のいえ

和洋折衷

階段

1階は農家的な造りでありながら、蔵もあり、カウンターもあり、事務所もあり。2階には洋間があり、和室もあり。階段は洋風ながら、寄木のような装飾も施されている。和洋折衷。

太宰治

おお、太宰治、うまれてしまうとはなにごとだ!

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木曜日, 3月 26th, 2009

数年前にゼンリンの電子地図Z8を購入していたものの、Google mapとかMapionとか国土地理院地形図閲覧サービスとかのオンライン系地図が便利すぎるため、インストールするのが面倒で使っていなかった。

そもそも、地図の鮮度や詳細度、閲覧操作性、検索性、どれをとっても、明らかにオンラインサービスのほうが優れているのだ。旧世代のインストール型の地図プログラムなどは起動する必要が無かった。

が、ここに来てInspiron mini 9を車に搭載して移動することを思いついてから、俄然その輝きを増してきた。どうしてこんな簡単なことが思いつかなかったのか、不思議で仕方ない。ネットに繋げた状態でオンライン地図のキャッシュを目一杯溜め込んで出かけよう、と思ってキャッシュを溜め始めた所で、ようやくZ8のことを思い出した。

やはり詳細な道路地図が見れるときと見れないときでは、道の迷い方が全然違う。

これまで東北道路地図と全国道路地図の各一冊だけで、徘徊の旅を続けていた。こういう地図にはほとんど幹線道路しか載っていない。なので、現在地の特定が難しいし、交差点の微妙な連結具合がわからない場合も多い。直進と右左折を数え間違えると当然迷う。上左下左。

Z8だと、最低限の道の繋がりはデフォルトで全国どこでも表示できる。目立つ建物も登録されているので、現在位置の把握も容易。街中に迷い込んだとき、行き止らずに脱出できるようになった。

ただし操作性は最低だ。右クリック+ドラッグでスクロールする奇妙な操作方法。トラックパッドだとやりにくい。あとホイールのズームUP/DOWNが直感と違う。入れ替えもできない。あと標高の高いところで3D表示にすると海しか表示されない。検索の操作性も複雑。最近のバージョンだと改良されているんだろうか。

いちばんの問題は詳細データを全部入れると8GB弱の容量を占有すること。早くSSD安くならないかな。

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金曜日, 3月 20th, 2009

googleのトップがはらぺこあおむしだったのを見て、クリシュナムルティを連想して検索した。どういう構造のつながりがこの連想を生んだのだろう、と考えると、音節の数が同じだということに気が付いた。

クリシュナムルティはかなり本物だと思う。何が本物で何が偽物か、というと、あまり上手く説明できないのだが。とりあえず、優しくないし、親切でもない、というところはポイントだ。大衆化された宗教や思想は、基本的にはとても親切だ。

擬似科学と大衆化された宗教の構造はよく似ている。「悟りの存在は実証済み!」と言い切っちゃったほうが、宗教っぽくて、みんな信じる。でも残念ながら、そういうものではないのだ。

研究は、その分野でトップに立ったと感じて、ようやく人並みになったと感じるのが普通だ、というようなことを、森博嗣がどこかで書いていた。その通りだと思う。

思想の分野も、行き着くところまで行って初めて人並み、だ。

自然科学の場合は、長年にわたって検証されてきた頑強な仮説パッケージ(通称 巨人の肩)があり、そこから各人が勝手に拡張して行けばよい。だが思想は、各々でブレイクダウンとリビルドを繰り返して作るか、場合によってはフルスクラッチで組み上げる必要があり、人並みになるのさえ容易ではない。

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水曜日, 3月 18th, 2009

休眠中のGPUを動かしたくなって、数週間前に購入したMirror’s Edge。

とても面白い・・・のだが、物凄い勢いで酔うから困る。大体1ステージの1/3、時間にして30分?1時間もプレイすれば眩暈と吐き気で続けていられなくなる。中間ポイントが細かく区切られているため、少しずつ進んでいるものの、慣れた人なら1日?2日で終わるゲームが、いまだに終わらない。

一人称視点+縦揺れ+めまぐるしく変わる視点+主人公のブレス+3Dサウンドに加えて、常に逃げ続けなければならない緊張感が、3D酔いを加速するポイントだと思われる。

FLASHの半公式2D版もあった。本家の雰囲気のいいところをよく抽出して、上手く仕上がっている。

http://www.mirrorsedge2d.com/

しかし2D版なら大丈夫かと思いきや、BGMと効果音を聴くだけで条件反射的に酔ってくるから困る。

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土曜日, 3月 7th, 2009

試作品でも不良品でも何でもいいのだが、技術者の仕事のひとつに、解析する、というのがある。

実物を観察し、その特徴を抽象化し、データを処理し、報告書にまとめる、というのが大まかな流れだ。

これは、山師が宝石を採掘する仕事と、それほど変わらない。

技術者はまず、実物を観察する。アタリをつけるためだ。鉱脈を掘る作業に当たる前に、そもそもどこが鉱脈なのかを見極めなければならない。鉱脈の無いところでは、いくら掘っても何も出ない。

大抵、時間が掛かるし、ちっとも進まないように見える。もちろん誰にも評価されない。そのため、この作業は非常に精神を消耗する。だが、納得するまで続けろ。アタリをつけないまま写真を1,000枚も撮ったところで、出来上がるのは屑の山なのだ。

アタリをつけたら、いよいよ掘る作業に入る。特徴の抽象化だ。

それが本当に当たりなのかどうかは、信じるしかない。100個だろうが、10,000個だろうが、数えろ。写真を撮れ。数値化し、相対化しろ。3時間で終わるかもしれないし、8時間かかるかもしれない。何日もかかることもある。

とにかく掘り続けろ。掘っているときに、隣の山が気になるときがあるかもしれない。あるいは、ルビーを掘っている途中で、金の鉱脈を見つけてしまうかもしれない。

迷ってはいけない。隣の山は良く見えるだけだ。金の鉱脈はそれはそれで素晴らしい価値を生むかもしれないが、後回しにしろ。我々のお客様は、とにかく一刻も早くルビーをとお望みだ。

抽象化されたデータは、原石だ。我々や我々の仲間はその価値を十分に認識しているが、多くのお客様はその価値が解らない。原石をごろんと出しても、お客様は買ってくれない。磨け。原石を研磨して、宝石にして出すのだ。これがデータ処理だ。

数学理論が、磨くための道具になる。高度な統計処理を施されたデータほど、より高い価値のあるデータになる。つまらない原石に見えても、磨けば輝く場合もある。熟練した職人ほど見事な研磨を施す。

だが、基本的にはGIGOだ。石は磨いても石だし、小さい原石は磨けない。10点やそこらのデータに統計処理を施すな。無くなるから。

宝石と同じように、この過程で、情報は必ず小さくなる。だが削られた情報に未練を残すな。それを削ったおかげで、宝石は輝きを増したのだ。大丈夫だ。新たに生じたその美しい面に、必ず証拠が残っている。

最後に、データをまとめて報告書を作る。これは営業だ。

素晴らしい宝石は、いずれ誰かに見出してもらえる、などと信じてはいけない。営業しなければ、だれも買ってはくれない。見栄えのする広告チラシを作成して、お客様に提示しなければならない。

我々が知らせたいものを知らせるのではない。お客様が見たいものを見せるのだ。相手に合わせて、常に見せ方を変えろ。大人には大人向けの、子供には子供向けの宣伝手法があるはずだ。

写りのよい写真を前面に出せ。飽きないように工夫しろ。この期に及んで、山師のプライドを残すな。飾れ。誇張しろ。ただし迎合はするな。

報告書の作成は、多くの場合、再利用できない細かい手間作業になるが、しかし時間を惜しむな。そして山掘りに逃げるな。

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土曜日, 3月 7th, 2009

まだインターネットが今ほどに広がっていなかったころ、インターネットの情報は珍しく、価値の高い情報だった。一方で、インターネット上の情報はどれも特殊すぎて、扱いにくかった。近所のひまな人が打ち込んだバスの時刻表は役に立ったが、信頼性はなかった。

やがて、誰もがインターネットで繋がるようになった。表面実装されたLSIを取り外す方法から、今日の特売チラシまで、あらゆる情報がインターネットに載るようになった。

プロの作るサイトが増え、質も向上した。近所のひまな人が打ち込んだバスの時刻表は、バス会社の提供する公式情報や、ダイヤ検索サイトに置き換わった。ペイントブラシで書かれた交差点の繋がっていない案内地図を見なくても、住所を打ち込むだけで、正確で詳細な地図が見られるようになった。

しかしながら、インターネット上の情報の価値そのものは減少し続けている。

誰もがインターネットを利用するようになって、ネット上の情報は、珍しいものではなくなった。検索エンジンの高性能化が、情報の価値をさらに押し下げた。どんな情報でも、ネットに上がったその瞬間から、誰もが知っている当たり前の情報になった。

いまや、インターネットに載らない情報の方が、はるかに高い価値を持つようになった。

情報の価値は、その質よりも、希少性のほうがはるかに大きい。

どんなにつまらなく些細なことでも、いま世界で自分しか知らないという情報こそ、もっとも価値が高い。