隔日記 0xE2/0x100
数学の話をしよう。
もっとも、ちゃんと勉強していないので、もちろん嘘ばっかりだ。
写像、というのは関数を一般化したような概念で、
ある入力をある出力に変換する概念である。たぶん。
入力と出力を対応させることをマッピング、と言ったりするね。
マッピングの例は日常的な世界に良くみられる。
例えば1、2、3、…と書かれたくじが当たり、はずれ、食器洗い乾燥機、に対応しているのもマッピングだし、
○、×、△、□が探索、飛び降り、ジャンプ、攻撃に対応しているのもマッピングだ。
離散に限らないし、有限に限らない。たぶん。
たとえば、磨りガラスは光のマッピングを実行する。
向こう側からやってきた光は磨りガラスの磨り面で散乱されて、
拡散した光に変換され、元の光線像が分からないようになるわけだ。
それと似たのに、採光ブロック、というのがある。
スーパーマリオ3の5面に出てくる氷みたいな厚いブロック状のガラスで、
レンズように光は通すけれども、像は通らないようなあれだ。
あれも、特定の入力を特定の出力に変換する写像デバイスのひとつだ。
よく、最上階フロアの天井から自然の光を採るのに使われていたり、
あるいは銭湯の間仕切りに使われたりしている。
もう誰にも遠慮はいらねー。
もちろん銭湯では像が透過してはいけないわけで、
採光ブロックは特定の写像によって、元の像を破壊して通すことになる。
だが入力と出力は決定論的に、一対一に対応しているわけだから、
数学的に考えると、逆関数を通せば元の像が復元される。
だからどうした?どうもしません。
採光ブロックは非常に複雑な関数だけれども、その点、磨りガラスは危険だ。
セロハンテープを貼ると、とか、水を掛けると、とか、そういう危険ではない。
光をGaussianで散乱する理想的な磨りガラスは、非常に簡単なフィルタで元の像が復元できる。
どうせ誰も見ちゃいねー。
とかとか。
わたしは湯船に浸かりながら、
極めて純粋に数学議論を考えいただけであって、
やましいことは何もない。
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